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最高裁判所第一小法廷 昭和46年(オ)699号 判決 1972年11月16日

主文

原判決を破棄し、本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人増淵俊一の上告理由について。

被上告人新聞社は、その発行する日刊新聞「下野新聞」の昭和三八年一二月一日付朝刊第二面九段、一〇段目左側に、「口を押え殺す?」「えい児変死」「近く家族調べる」という見出しをつけ、「宇都宮市操町、栃木県税事務所勤務鮎沢邦彦さんの長男次郎ちやん(生後三ケ月)が二十九日夜八時半過ぎ、急死したと同夜国立栃木病院から宇都宮署へ届け出があつた。宇都宮署では三十日、黒須警察医の執刀で次郎ちやんを解剖したところ、外傷はなく、内臓にも異常がないところから窒息死した疑いが濃くなつた。このため同署でも捜査を開始したが、これまでの調べだと次郎ちやんは生まれながら口の形がかわつており、これを悲観して家族のだれかが次郎ちやんの口や鼻をおおつて殺した疑いが強まつており同署も近く家族を取り調べることになつた。……」との原判示の記事を掲載したものであることは、当事者間に争いのない事実として原審の確定したところである。

そして、被上告人新聞社が右記事を掲載するに至つた経緯として、原審が認定するところによれば、

被上告人新聞社の社会部記者杉山幹夫は、昭和三八年一一月二九日午後八時半頃取材のため宇都宮警察署に詰めていたところ、市内の栃木国立病院から死亡した嬰児が担ぎこまれた旨の変死届出の電話があつたので、社会部長小林孝の指示を受け、早速同病院に直行し、検視のため臨場していた生田目警部補に事件の内容について尋ねたが、同人は発表の権限はないし、また、解剖しなければ結果はわからないとのことであつた。宇都宮警察署では被疑者不明の殺人被疑事件として立件し、鑑定許可状の発付を受け、翌三〇日午前一〇時から一一時三〇分まで一時間三〇分にわたり福田芳男捜査第二課長ら立会の上、医師黒須周作方において同医師の執刀により解剖が行われ、その結果、次郎の直接の死因は気道閉塞による窒息死と判定された。右判定に基づき同署では同日正午過ぎに殺人被疑事件として捜査を進めることに決定したが、同署の捜査官は、上告人ら家族の誰かが次郎の生まれながら口唇が変形し、殆んど手術不可能の症状であるのをうれえて殺害したのではないかとの一応の推測もしくは見込みを持つていた。杉山記者は、同日午前中国立病院で取材し、午後二時頃黒須医師方に赴き解剖の結果を尋ねたところ、同医師は、外傷はなく、内臓に異常はないが、窒息死であつて、死因には疑いがある、死亡した嬰児の口の形が変つているので、誰かがやつたものかと言いながら、手で自分の口を押えるような動作を示した。同記者は、その要点をメモし、小林社会部長に中間報告をして、その後の取材について指示を受けた。小林社会部長は、県警察本部に照会して鑑定許可状が殺人容疑で発付されていることを知つた。その後、杉山記者は、宇都宮警察署に回り、捜査経緯発表の権限を有する刑事官袖山誠に会い、黒須医師から聞いたことを詳しく述べて事実を確かめたところ、同刑事官の説明も黒須医師のそれと喰違うところはなく、死因に疑いがあるのであるから新聞に書いてもよいとの諒解を得た。そこで、杉山記者は、同日夕方頃小林社会部長に殺人くさいと報告し、同部長から再度警察および黒須医師について調査するとともに、上告人らから取材するように指示されたので、早速上告人ら方を訪ねたが、面会を拒否されて取材できず、近所の酒屋で明日秘かに葬式をするらしいと聞いたにとどまつた。同記者は、同日午後九時半頃再度袖山刑事官および黒須医師について更に調査し、袖山刑事官に重ねて記事にすることについての諒解を確認した上、電話で小林社会部長に本件記事と同内容の報告をした。同部長は、締切り時間が迫つていたので、右報告に基づき本件記事を起稿し、なお、念のため電話で袖山刑事官に記事内容について確かめ、容疑者について早急に捜査を進めない理由を質したところ、容疑者は家族の者と思われるが、別に逃げかくれするわけでなく、葬式がすむまで二、三日待つても大したことはないということであつたので、原稿を整理部へ回した。そこで整理部において見出しをつけ、本件新聞に掲載報道されるに至つた、というのである。

原審は、本件記事の摘示している事実、すなわち、上告人らの誰かが次郎の口や鼻を押えて殺害したという主要部分の事実については、これを認めるに足りる証拠はないが、本件記事が掲載されるに至つた経緯に関する前記認定の事実によれば、本件記事の取材にあたつた杉山記者は、黒須医師および袖山刑事官から情報を得たものであり、袖山刑事官からの取材は、捜査当局の公の広報活動によるものではないが、捜査当局の見解を発表する権限を有する袖山刑事官から直接説明を受け、しかも再度にわたり取材の結果を報道することにつき同刑事官から諒解を得ているので、捜査当局の公の発表に近いものとして信頼に値する情報であると判断したものであり、また、杉山記者から報告を受けた小林社会部長は、すでに鑑定許可状が被疑者氏名不明とはいえ殺人容疑で発付されたことを知つており、本件記事を起稿するとともに念のため記事内容につき袖山刑事官に確認し、近く上告人らを取り調べることになつていることも確認しており、右情報について疑いをさしはさむべき情況も認められなかつたのであるから、被上告人新聞社において右情報につき自主的に裏付取材をしなくても、被上告人新聞社の各担当者が本件記事の内容を真実と信ずるにつき相当の理由があつたものというべきであり、右担当者に本件記事の内容の真実性に関し故意、過失はないと判断し、被上告人新聞社は本件記事掲載により上告人らの名誉を侵害したものであることを前提とする上告人らの本訴請求を全部排斥した。

しかし、本件記事の内容は、生まれつき口の形が変つている生後三か月の嬰児の窒息による変死に関するものであるところ、捜査当局においてはその屍体解剖を終つたばかりで、未だ家族に対する事情聴取もすんでおらず、次郎の死が単なる事故死であるという可能性も考えられ、捜査当局が未だ公の発表をしていない段階において、上告人らの誰かが次郎を殺害したものであるというような印象を読者に与える本件記事を新聞紙上に掲載するについては、右記事が原判示の如く解剖にあたつた黒須医師および袖山刑事官から取材して得た情報に基づくものであり、同刑事官が署長と共に捜査経緯の発表等広報の職務を有し、右報道することについて諒解を与えたとしても、被上告人新聞社としては、上告人らを再度訪ねて取材する等、更に慎重に裏付取材をすべきであつたというべきである。これをしないで被上告人新聞社の各担当者がたやすく本件記事の内容を真実と信じたことについては相当の理由があつたものということはできず、同人らに過失がなかつたものとはいえない。したがつて、原判示の事情のもとにおいて、同人らに過失がないとして、上告人らの本訴請求を排斥した原判決は、不法行為に関する法令の解釈適用を誤つたものであり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件は、なお審理を尽くす必要があるから、これを原審に差し戻すのが相当である。

よつて、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岩田 誠 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三 裁判官 下田武三 裁判官 岸 盛一)

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